市民と哲学者が共に哲学する『善の研究』の読書会 1

はじめに

哲学の醍醐味は何と言っても自ら哲学することです。その喜びは分かる喜びというよりはむしろどこまでも分からない深いものに出会う喜びです。この深みの前では哲学、宗教の専門家も首を垂れざるをえません。こうした体験を広く一般市民がともに味わう場を設けたいというのが今回の企画の一番の願いです。深みと出会うためには自己完結した在り方を破る必要があります。独りで考えるだけでは決して到達できないようなところへ、哲学書を共に読むこと、聞くこと、共に対話しつつ哲学することで到達し、分からんけれど深いなあ、考えんといかんなあ、と思いつつお帰りいただければと思います。

ところで皆さんは哲学したことがありますか。そもそも哲学するとはどういうことをいうのでしょう。じつはこのように問うことがすでに哲学していることになるのですが、屁理屈に聞こえますか。問いに対して私たちは必ず答えを求めます。よく分からないけど、考えても仕方ない、役に立たないというのも立派な答えです。そうしますと誰しもが何らかの答えを持ち合わせていることになります。そうしてこの答えに深浅がありうることになります。皆さんはどんな答えをお持ちですか。そうした既成の答えを打ち破る深みとの出会い、これが今回の企画がまず目指すものです。

哲学の仕方にはいろいろあります。一人で考える、対話する、哲学書を読む、哲学の講義を聞くなどが考えられますね。それぞれに長所と短所があり、それらをバランスよく組み合わせるのが理想的です。今回の企画ではそれも目指してみました。慾張りな企画です。初日の午前中は「読む」時間です。午後の前半は皆さん自身が「考える」時間です。ここでは皆さんが自ら考え、対話します。ここまでは私(佐野)が司会を務めます。後半は秋富先生のご講演で、「聞く」時間です。どうぞ十分に哲学を堪能なさり、深みに触れて分からなくなっていただければ幸甚です。

二日目は西田先生がお住まいになっていた住居にご案内します。そこには西田先生を師と仰ぐ辻村公一(故人)先生の御蔵書の一部もご覧いただけます。辻村先生は京都大学名誉教授で大変勤勉な先生でした。ハイデッガーやドイツ観念論などの西洋哲学だけでなく、禅にもご造詣が深く文字通り古今東西の思想を深く研究されていました。京都学派の伝統を引き継ぐお方でもあり、西田幾多郎全集への書き込みは貴重です。皆さんは西田先生がそこで思索され、座禅を猛烈に組まれた空間で、また辻村先生の御蔵書に囲まれながら、昨日来の哲学の営みが歴史の内にあったことを体験されることでしょう。歴史の開け、これも大切な気付きです。

皆さんは哲学の古典をお読みになったことがありますか。文学同様、哲学にも古典というものがあります。小説ならともかく、哲学はどうも、という方も多いのではないでしょうか。西田先生の『善の研究』はご存知でしたか。若い頃は必読の書だった、でも難しくて読めなかったという方、教科書で西田幾多郎と『善の研究』の名前だけは知っていたが読んだことはないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回の企画では皆さんがご自身の力で哲学の古典を理解し、味わうことができるという所までお手伝いする、ということも目指しています。読めなかった哲学の古典が読めるようになる、そうした感動を味わうことができる、これも今回の企画の魅力の一つだと思います。その上で午後の討論に臨めば討論は楽しく実りのあるものとなるでしょう。逆に言えば充実した討論が行われるためには皆さんの御協力が必要だということになります。大学でも最もよい演習は、学生全員がいわば刀をピカピカに磨いてどこからでも来い、という心構えで参加し、もっと考えなければならない重く深い問いを抱えて終える、というようなものだと思います。

テキストは西田幾多郎『善の研究』第1編「純粋経験」第4章「知的直観」を用います。文庫本で7ページ程度の短い箇所です。様々な版があります。岩波全集版(新旧)、岩波文庫版(新旧)、講談社学術文庫版、中央公論社『日本の名著』版など、思いついただけで現在出回っているのは6版あります。ここではどれに統一するということはいたしませんが、どの版でも結構ですので予めご購入されるか、図書館でお借りする、あるいはインターネットで「青空文庫『善の研究』」からダウンロードし、プリントアウトしてご用意していただければと思います。『善の研究』の他の箇所を参照する場合がありますので、ご面倒でもすべてプリントアウトされることをお勧めします。お手元にご用意されたテキスト(お借りした本の場合はコピー)の「知的直観」章の段落に番号を記してください。「知的直観」の章は7段落あります(一段下がった所は注ですのでカウントしません)。テキストの参照箇所はこの段落番号で指示します。

皆さんの読解をお手伝いする手立てとして三つ用意させていただきました。一つ目は皆さんが今ご覧になっている「ブログ」を利用し、今後何回かに分けて「知的直観」の章を分かりやすく解説します。二つ目は当日一週間前(9月17日)に「プレ講習会」を開催します。お近くの方はどうぞご利用ください。詳しくはホームページをご覧ください。三つ目は当日午前中の「読む時間」です。この三つの手立てを通じて皆さんが万全の態勢で討論に臨めるようにサポートさせていただきます。

『善の研究』は読み込みの回数と思索の時間を要求する書だと思います。そのためここでは思索が熟するために十分な時間を設定したいと思います。基本的に以下の手順で進めていきたいと思います。講座は午前と午後の部から成り、それぞれ1時間30分です。

午前の部では司会者によるこの講座の趣旨説明の後、テキストの輪読を行いながら、適宜必要不可欠な説明を司会者が講読の形で加えます。また単純に意味の通らない箇所の考察を皆さんにお伺いし、それを皆さんと共に考えたいと思います。「単純に意味の通らない箇所の考察」とは、例えば「統一とはどういうことか」というような哲学的に深い問いはとりあえず扱わない、ということです。まずは皆さんがこの箇所の全体像を銘々につかんでいただくことを主眼にしたいと思います。それが一通り済み、まだ時間があるようでしたらもう少し深い問いについても扱いたいと思います。

昼食前に司会者の方から哲学的討論の柱を提示したいと思います。昼食の時間を利用して、皆さんはじっくりと問を練ることになります。昼食後は討論の柱をめぐって共に哲学的思索と議論を行います。皆さんは学会などに参加されて、お一人の方が長い時間自説を展開されてお困りになったことはありませんか。ここには西田哲学の専門家、あるいは哲学や宗教の専門家もいらっしゃると思いますが、そういう方々もそうでない方々と同じ土俵に立って、同じ条件で哲学的な「議論」をする、そういう場にしたいと思います。そこでここでは「知識の披露」つまり「自分の知っていることをしゃべること」を禁止ということにしたいと思います。知らない者は知っている者の言うことを黙って聞くよりほかはありません。ここはそういう場にしたくありません。どこまでもテキストの読みと哲学的思索のみで勝負をする、そういう場にしたいと思います。ただしテキストの理解を深めるため、あるいは哲学的な議論の根拠を示すために、『善の研究』の今回の範囲以外の箇所を提示していただく場合はその限りではありません。その箇所を皆さんと共に読み、共に哲学したいと思います。そのためにもテキストは必ずご持参ください。どの版でも構いません。哲学や宗教をご専門にされておられる方々にも今回の趣旨をご理解いただき、皆さんのご協力のもとに充実した討論が実現するよう、よろしくお願いいたします。

ここで「考える時間」のルールをまとめておきます。

①沈黙の時間を大切にする
②テキスト、テーマから脱線しない(場外反則を宣告します)
③自分の知っていること(他の人が言っていることでも、自説でも)をしゃべらない(分からない所、深い所を考え、言葉にすることに集中する。テキストと自分の言葉だけで勝負する)
④自分の考えは変わり得ることを前提とする(自分が信じているもの、自説を固めるのでなく、むしろ自己の根柢を揺るがし、壊すことを通じて何かに目覚めるために来ているという自覚を共有する)

結論を出すということを目的とはしておりません。あるいは混迷の度を深めるだけになるかもしれません。しかしそうした混迷の中で皆さんが銘々重い問いを抱えてこの講座を終えることが出来ること、これが今回の企画の目的です。

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著者

  • 佐野之人 さの ゆきひと
  • 現在、山口大学教育学部で哲学、倫理学を担当しています。1956(昭和31)年に静岡県富士宮市で生まれ、富士山を見ながら高校まで過ごしました。
    京都大学文学部を卒業して文学研究科に進み、故辻村公一名誉教授のもとでヘーゲル、ハイデッガー、西田哲学などを学びました。東亜大学に2009(平成21)年3月まで勤務し、同年4月より現職です。

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