この読書会は風変わりである。「思索のための自由気ままな空間」を育てていこうというのだから。講師はテキストを選定するなど、種をまくだけである。「空間」を育てるのは参加者の皆さんである。この読書会は講義ではなく、演習(ゼミナール)なのである。だから皆さんは教わる気になってはいけない。自ら、そうして共に哲学する、そのつもりで参加していただきたい。「自由気まま」といっても、知識のある人が思いつくままに語る場にはしたくない。誰もが平等にテキストの前に謙虚に、どこまでもテキストに即して自由に哲学する、そういう場にしたい。
「テキストに即する」といっても、西田先生が考えたことをただ解釈するのではない。西田先生が考えようとしたことを哲学するのだ。指し示す「指」ではなく、「月」を見つめるのだ。『善の研究』でいえば、月は「純粋経験」だ。「純粋経験」を哲学するとは、「純粋経験」という概念を辻褄の合うように解釈することでも、「純粋経験」についての知識を得て、それを何かの役に立てようとすることでもない。己自身を問うことである。皆さん自身がどうしても問わずにはおれない問いを抱えた身であることに目覚めることである。要するに皆さんはこの空間では、客ではなく、主なのである。
佐野之人