これまでの記録|読書会

2025年 315日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
西田幾多郎を読む 
岩波書店『西田幾多郎全集』(旧版)第四巻「左右田博士に答ふ」五の第6段落、319頁1行目「此故に直覚的なるものが判断的知識に 入り来ると云ふことができる」から、段落の終わり(319頁の14行目)「全く知識の意味を失って、意識一般の対象界に於いては、唯表現として見られるまでである」までを読了。(第368回)

2025年 38日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
西田幾多郎を読む 
岩波書店『西田幾多郎全集』(旧版)第四巻「左右田博士に答ふ」五の第6段落のはじめ、317頁3行目「判断的知識の成立するには、いつでも、その根柢に何等かの意味における一般者がなければならぬ」から319頁1行目までの「判断的知識と直覚とは、此の如く場所の関係に於いて連結している、後者は真の無の場所、即ち場所其者であって、前者はその限定せられたものである。」までを読了。(第367回)
読書会だより
真に直接なる心

2025年 31日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
西田幾多郎を読む 
岩波書店『西田幾多郎全集』(旧版)第四巻「左右田博士に答ふ」五の第5段落のはじめ、316頁2行目「右の如く包摂判断の述語面が述語となって主語とならないと考へられた時」から同317頁の2行目「即ち自己自身を見るものが、意識一般の立場に於いて術語を有つ時、意志といふ如きものが考へられるのである。」までを読了。(第366回)
読書会だより
知的自覚、意志的自覚、自分自身を見るもの

2025年 28日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
西田幾多郎を読む 
岩波書店『西田幾多郎全集』(旧版)第四巻「左右田博士に答ふ」五の第4段落のはじめ、313頁15行目「是に於いて私は従来認識論の基礎となって居る知るといふことを問題とせざるを得ない」から316頁の1行目「所謂主客の対立も之に於てあるものでなければならぬ。」までを読了。(第365回)
読書会だより
知るということ―「作用」への批判

2025年 21日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
西田幾多郎を読む 
岩波書店『西田幾多郎全集』(旧版)第四巻「左右田博士に答ふ」五の第3段落のはじめ(312頁7行目)「真の認識主観は思惟と広義に於ける直覚との統一でなければならぬ」から、313頁の14行目「併しシェルリングの知的直観であっても主客合一と考へられるかぎり、尚対象的意義を脱し得たといふことはできない」までを読了。(第364回)
読書会だより
内在的超越/超越的内在