論文
※著者肩書きは発表時のものです

2026

カント『純粋理性批判』における理性の認識の限界

松本紗知山口県立大学 社会福祉学部 4年

 カント『純粋理性批判』は、人間の理性がどの範囲でどのように認識できるかを問う哲学書であり、対立していた経験論と合理論を批判的に統合し、自然科学の客観性を基礎づけることを目的とする。カントは認識の働きを「感性・悟性・理性」に区別し、まず感性は外界からの刺激を受け取り、それを空間と時間という先天的な形式のもとで直観として与えるとした。次に悟性は、その直観に対してカテゴリーと呼ばれる思考の枠組みを適用し、因果関係や実体といった形で対象を統一的に把握する働きを担う。この感性と悟性の協働によって成立するのが「現象」としての世界であり、私たちが経験しうるのはあくまでこの現象に限られる。一方で、対象がそれ自体としてどのように存在するかという「物自体」は、人間の認識能力の枠を超えているため、理論的には認識不可能であるとされる。さらに理性は、与えられた経験を超えて、無条件的で究極的な根拠を求める性質をもつため、神の存在や魂の不死、世界の始まりといった形而上学的問題に向かう。本論文は、このような究極真理について考えてしまう人間の本性について詳しく述べている。
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武士道とスポーツ道徳

田中大翔山口大学 教育学部 社会科教育選修 4年

 なぜ私たち日本人は、スポーツ選手を「武士」と喩えるような価値観を有しているのだろうか。スポーツ道徳に「武士道」という考えが持ち込まれたのは、明治30年代の旧制第一高等学校野球部の「武士的野球」論の登場まで遡る。彼らは、当時高まっていた野球否定の状況下から、野球を守るために「武士道」の仮面を被ることでその存続を図った。しかし、そうした近代武士道は戦時期には死をも厭わない国家への奉仕を目的として主張され、戦後も「根性」という言葉として、武士道精神がスポーツ道徳として定着した。その一方で、こうした考えはスポーツ本来の「愉しさ」を喪失させる弊害も生み出した。それでは、現代の私たちが武士道をスポーツ道徳として価値づけることは、本当によいことなのだろうか。武士道とスポーツ道徳の関係性を、歴史を基に、その現代的意義を考察する。そして、その思想的背景である日本人の「武国意識」を探ることで、これからの私たちのスポーツ道徳への向き合い方を示したい。
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