魔境踏査の術を知る
―カミュの「不条理」に学ぶ―
福田理奈山口大学 教育学部 社会科教育選修 4年
私たちの生きる社会は、人間の理解によって作られる虚構である。なぜなら、その下には本来の世界の姿として、一切が不確実であり人為の及ばぬ世界——魔境が広がっているからだ。この二重の世界で虚構に埋没することなく、そして何ものも確実ではない魔境からも目を背けることなく、嘘をつかないという誠実な生き方を目指すにはどうすればよいだろうか。
本稿は「この世界は何ものも確実ではない」を出発点として考察された「不条理の哲学」を主題とするアルベール・カミュの著作『シーシュポスの神話』『異邦人』を参考にしながら、筆者自身にとっての誠実な生き方を問い、考えていく道程を記したものである。私たちの日常における意義や価値および神や人間を超越するようなものに頼ることなく、私の人生を私自身のものとして生きるための哲学的姿勢を実践するべく、カミュの問いかけと共に論考を進めていく。
本稿は「この世界は何ものも確実ではない」を出発点として考察された「不条理の哲学」を主題とするアルベール・カミュの著作『シーシュポスの神話』『異邦人』を参考にしながら、筆者自身にとっての誠実な生き方を問い、考えていく道程を記したものである。私たちの日常における意義や価値および神や人間を超越するようなものに頼ることなく、私の人生を私自身のものとして生きるための哲学的姿勢を実践するべく、カミュの問いかけと共に論考を進めていく。