論文
※著者肩書きは発表時のものです

関連項目:ジル・ドゥルーズ

ドゥルーズ『差異と反復』における
「学び」に関する一考察

大藤 渉広島大学大学院(院生)

大藤渉_ドゥルーズ『差異と反復』における「学び」に関する一考察 本発表は、私たちが自明のものとして受け入れている知識や制度、道徳が、実は「虚構」によって成り立っているという問題意識のもと、ジル・ドゥルーズの『差異と反復』を手がかりに、「虚構」の世界を転倒させる「学び」のあり様を考察する。ドゥルーズによれば、人々が正しいものとして共有する知識や価値は、「思考のイメージ」という暗黙の前提によって成立している。しかし「学び」とは、その前提の上に安住することではなく、それを破壊し、「見せかけ」に満ちた「仮初の世界」に迷い込むことである。そこでは経験的に得られた知は絶えず揺らぎ、人は思考せざるをえない状況へと巻き込まれる。したがって「学び」は、既成の知を獲得する過程ではなく、不意の出会いを通じて、不安や苦しみを伴いながら、自らの思考や存在の仕方を変形し続ける運動として描かれる。本発表は、このような「仮初の世界」における「学び」を通して、人間とは決して完成された存在ではなく、「来たるべきもの」であることを示す。
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教育における「わかる」についての一考察

大藤 渉山口大学教育学部小学校総合選修4年

本研究は、教育における「わかる」ことを中心とする授業とその構成を成り立たせる諸概念を批判的に考察することによって、所与の枠組みを保持したまま「わかる」あるいは「わからない」と二分法的に捉えることの問題を明らかにする(第1章)。こうした問題意識をもとに、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの『差異と反復』を手がかりに、経験を超えた次元における「わからなさ」と経験的な次元で「わかる」、「わからない」と判断することを対比して考察する。そこで、〈私〉を確固たる前提として対象を「わかる」、「わからない」と判断する見方ではなく、所与の枠組みには判断することも還元することも不可能であり、判断する位相自体を壊すような新しいもの、つまり「わからなさ」との関係を結ぶことでひび割れる《私》という見方を示したい(第2章)。最後に、教育において「わからなさ」を射程に入れることの意義を明らかにするために「問題」概念について考察する。あらゆる局面につねに妥当するものごとを解答とみなすことが、「わからなさ」の捨象につながることを明らかにした後、「潜在的なもの(問題)」と「現働的なもの(解)」の関係を論じる(第3章)。
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