心臓(ハート)で読み直す漱石
桑原理恵西南学院大学(文学)
テクスト論時代の代表的論文、小森陽一「『こころ』を生成するハート心臓」(1985)は「先生」の死後に学生の「私」と「奥さん」が結ばれるとの解釈のみ注目され、この論が示した「心臓」「血」をめぐる新たな読解の可能性は置き去られた感がある。本論はエゴ頭主体の生き様をハート心臓から揺さぶられ、変わらざるを得ない漱石テクストの受難の物語類型を「ハート心臓」を手掛かりに読み直す試みである。『それから』は代助が毎朝心臓をチェックする癖から始まり、『こころ』原題は『心』=ハート心臓、「頭脳に訴える代わりに、私のハート心臓を動かし始めた」(上十九)と漱石自身がルビを振る。巻き込まれるのは内臓、特にハート心臓が発した感情・感覚のボルテックス渦である。ジェームズ「感情の末梢起源説」やデカルト『情念論』に加え、漱石の優れた身体感覚の地平を明らかにし、漱石が傾倒したプレラファエライト・ブラザーフッドラファエル前派との関連性などのキリスト教文脈でエゾ秘テリック教的な深層に切り込むことにより、東洋と西洋、身体性と感情が繋がる宇宙的視野へと開きたい。