これまでの記録|西田幾多郎╳佐野之人

2015年 718日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第5段落より
第一編、第二章「思惟」の第5段落目の後半「知覚にも正しいとか誤るということがある」が何を意味しているかが問題になった。 それは錯覚ではなく、人間は自らの意識体系に合致したもののみ正しいとすること、合致しないものは「誤っている」として知覚しないことを意味することを確認した。(第83回)  

2015年 711日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第2-3段落より
第一編、第二章「思惟」の第2段落における知覚、心像を区別しない立場、さらに第3段落から「自己をその中に没した」活動としての「思惟」について確認した。(第82回)

2015年 74日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第1段落より
第一編、第二章「思惟」の1段落において、判断が二つの独立した表象の結合ではなく、むしろ一つの表象(全き表象)を分けることで成り立っているという理解を確認。また第2段落より「思惟の作用も純粋経験の一種である」ことを確認した。知覚と夢、幻覚も絶対的な区別はないと述べられている。(第81回)

2015年 627日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第1章「純粋経験」第6-7段落
第一編、第一章「純粋経験」の6段落において「純粋経験の立脚地」に対立されている「純粋経験が客観的実在に結合せられる」の理解について議論。また、(統一、不統一も)「よく考えてみると畢竟程度の差である」の記述も大いに問題になった。7段落の大なる統一の作用としての意味が「自己の範囲を超越する」のかは課題として残された。(第80回) ※この回(第80回)をもって読書会は3年目に突入する。

2015年 620日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第1章「純粋経験」第5段落
第一編、第一章「純粋経験」の5段落から読む。第三編、第一章の第1段落を参照しながら「意志」「思惟」「想像」の3統覚に関して概念を整理した。(第79回)