これまでの記録|読書会

2015年 418日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第二編 第9章「精神」第6段落の註記から
第二編、第9章「精神」の第6段落の註記(字下げ部分)から最終段落を読む。(通算第71回)

2015年 44日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第二編 第9章「精神」第5段落
「純粋経験」は「アリノママの自分」あるいは「真の自己」と言えるか、取り分け「至誠」ないし「無心の境地」は「真の自己」と言えるか、例えば「無我夢中で人を殺してしまった」、これは「真の自己」ということになるのか。これに関して『倫理学草案第二』、『善の研究』を対比した。 第5段落「自己は何処より来るか」の「自己を対象として見ることはできない」について、科学的に自己に接近することはできるとの指摘あり。それに対し『倫理学草案第二』における「見者の地位」と「作者の地位」の区別が紹介された。(通算第70回)   【特別論考】 佐野之人「『気づこう いのちの尊厳』とは」 第40回公益財団法人教誨師連盟主催 広島矯正管区教誨師研修会山口大会(2012年6月22日)の 総合テーマ「気づこう いのちの尊厳」に寄せた原稿に加筆。
原稿(pdf 358kB)

2015年 37日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第二編 第9章「精神」第4段落註記より
第二編、第9章「精神」の第4段落、註記の後段から第5段落の途中までを読む。ここに記された「隠れたる本質」とは精神であり、統一作用のことであることを確認。統一作用の「内展(involution)」「外展(evolution)」=進化が、ヘーゲルの『大論理学』に由来している可能性が指摘された。(通算第68回)

2015年 228日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第2編 第9章「精神」本文第4段落
第二編、第9章「精神」の第4段落目を読む。本文の終わり「実在は精神において始めて完全なる実在となる」の「精神」は、段落冒頭とことなり「人間」に置き換えられるのではないか。(通算第67回)