2021年 修士論文

福沢諭吉の文明論における「人民の気風」の形成過程
―「智徳の進歩」と「情」の連関を手掛かりに―

井町 菜月山口大学大学院 人文科学研究科(修士課程) 人文科学専攻 思想研究コース 2年

本稿は、福沢諭吉の『文明論之概略』を主な考察対象としながら、「人民の気風」の形成過程を論じる。「人民の気風」は福沢の文明論の基層にあり、重要なはたらきをする。しかし、福沢は「人民の気風」に明確的な定義を与えず、多義的に用いているため、その理解は容易ではない。本稿では、明治十年代以降の福沢の著作において強調される「情」への視座を、『概略』にさかのぼって考察し、「人民の気風」の理解を試みる。

第一章では、「人民の気風」を論じる上で「情」に注目することに一定の意義があることを示す。先行研究において、「情」は基本的に明治十年代以降の著作に基づいて、注目される。『概略』の「情」に言及した研究も、「情」の道徳的側面である「情愛」への注目が中心となっている。しかし、『概略』には「情愛」とは別の「情」のはたらきを見出すことができる。本稿では、「智徳」に集約できない、この「情」を「感情」と名づけた。

第二章では、「人民の気風」における「智徳」のはたらきを示す。「人民の気風」は、「一国の人民に有する智徳の現象」と規定されることからも、気風を論じる上で「智徳」の考察は書かせない。福沢は、「智徳」の中でも特に、「聡明叡智の働」と呼ばれる智恵を重視する。なぜなら、「聡明叡智の働」は、智恵=「理」の拡大を推し進めるだけでなく、「情愛」(徳義)の拡大も可能にするからである。また、「智徳」進歩は、学問によって可能となる。学問は智恵の進歩だけでなく、徳義の進歩も促すことが明らかとなった。

第三章では、「智徳」に集約されない「感情」の要素も「人民の気風」に関わっていることを示した。このことは、「智徳」の高い人々が唱えた説に、「何心なく雷同」した一般人がいることに目を向けることで、見出される。また、習慣によって「人民の気風」に「智徳」の有様が純粋に反映されない場合がある。日本では、「感情」に基づく習慣が生じ、「惑溺」の状況が生まれたことで、「権力の偏重」の気風が起こったことを明らかにした。しかし習慣の変容は困難で、その具体的手立てを『概略』に見出すことはできない。

本稿は以上のように、「情愛」や「感情」といった「情」の要素に注目しつつ、「人民の気風」の形成過程を論じる。これによって、明治十年代以降、福沢が強調する「情」の要素が、部分的にではあるが、『概略』においても見られることが明らかとなる。

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