※著者肩書きは発表時のものです

関連項目:鈴木大拙

分別を超えた生き方は可能か
―鈴木大拙の霊性的世界と四種法界に学ぶ―

西村壮太山口大学 教育学部 社会科教育選修 4年

「分別を超える」とは一体どういう事か。それはある意味で理性のある人間にとっては人間を超える、とも言えるものだろう。人間は理性によって他の生物と比較できないほどの進化を遂げたが、それ故に避けることのできない苦悩に対しての自覚を背負ってしまった。言葉もそうだ。理性の所産である言葉や言語は非常に便利なものであるが、人間はそれに依存し、離れることもできず何かを分かった気になってしまう。生老病死といった人間不可避の苦悩から目を背けることを可能にしてしまう反面それでは駄目だ、物足りないという欲求も人間は同時に感じている。それらは全て人間の分別性によって生まれる問題である。「分別を超える」ことでそれらの問題は解消されるのか。さらに言えば「分別を超える」で人間不可避の苦悩は解消されるのか。それ以前に「分別を超える」ということは可能なのか。本発表はそれらの問題に対しての私自身の解答を示したものである。
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