これまでの記録

2015年 81日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第8-9段落を読む

『善の研究』第一編、第2章「思惟」第8段落「唯その含蓄的なると顕現的なるとに由りて異なって居るのである」から第9段落(「思惟」の最後)までを読む。(第85回)

2015年 725日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」5-8段落を読む

『善の研究』第一編、第2章「思惟」第5段落から第8段落「唯その含蓄的なると顕現的なるとに由りて異なって居るのである」までを読了。ヘーゲルの「具体的」の概念、「概念」について確認した。(第84回)

2015年 718日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第5段落より

第一編、第二章「思惟」の第5段落目の後半「知覚にも正しいとか誤るということがある」が何を意味しているかが問題になった。
それは錯覚ではなく、人間は自らの意識体系に合致したもののみ正しいとすること、合致しないものは「誤っている」として知覚しないことを意味することを確認した。(第83回)

 

プロトコル(pdf 63 KB)

2015年 711日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第2-3段落より

第一編、第二章「思惟」の第2段落における知覚、心像を区別しない立場、さらに第3段落から「自己をその中に没した」活動としての「思惟」について確認した。(第82回)

プロトコル(pdf 132 KB)

2015年 74日 (土)

時間
13:30〜15:45
内容
『善の研究』第一編 第2章「思惟」第1段落より

第一編、第二章「思惟」の1段落において、判断が二つの独立した表象の結合ではなく、むしろ一つの表象(全き表象)を分けることで成り立っているという理解を確認。また第2段落より「思惟の作用も純粋経験の一種である」ことを確認した。知覚と夢、幻覚も絶対的な区別はないと述べられている。(第81回)