2015年 10月
3日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第3章「意志」の5段落目を読む
『善の研究』第一編、第3章「意志」の5段落目「また我々は普通に意志は自由であるといって居る。しかしいわゆる自由とは如何なることをいうのであろうか」より、同段落の「その統一の極致が真理であり兼ねてまた実行であるのである」を読了。第3編の3章、第1編の2章などを参照しながら、西田による自由意志論の否定を確認した。(第90回)
2015年 9月
26日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第3章「意志」の4段落目を読む
『善の研究』第一編、第3章「意志」の4段落目(「或いは意志的運動においては」より、段落の最後まで)を読了。ここでの記述が、まず論点をあげて通説を紹介し、それに反論するかたちで展開されていることを確認した。
プロトコルの「哲学的問い」より、純粋経験への視点の転換をもたらす宗教的な絶望と、生きつづけることへの絶望(主としてその質的な異同)も議論になった。(第89回)
2015年 9月
5日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第3章「意志」の4段落目を読む
この日のプロトコル報告者は前回(第87回)が初参加であり読書会の新記録。まず第一編、第3章「意志」の第3段落で「勿論主観と客観を分けて考えてみれば」で始まる後段の論点(知識と意志)を整理した。また第4段落の「真理とは我々の経験的事実を統一した者である」に関して、ほんとうに「個人の経験」があるのか、「新たな経験」といえるものがあるのか、などの問いが報告者より投げかけられた。
その後、第4段落の「我々は常に過去の運動表象の喚起に由りて自由に身体を動かし得ると信じて居る」から「或いは意志的運動においては」の直前までを読了。(第88回)
2015年 8月
22日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第3章「意志」を読む
初めての方が見えられたので『善の研究』の全体像を概観したのち、運動表象の体系、知識表象の体系の差異(1-3-3)に関するプロトコルを確認。その後、第一編第1章第3段落の後段「また意志は多く内より目的を以て進行するというが」から第4段落の前半「スピノーザのいった様に知は力である」までを読了した。
「意志」と「知識」の区別、「知識的作用」と「意志的動作」、西田哲学における「統覚作用」に関して確認をした。エルンスト・ヘッケル、宮沢賢治「青森挽歌」にも言及。(第87回)
2015年 8月
8日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第3章「意志」の第3段落を読む
第一編第2章「思惟」の第9段落、第3章「意志」の第3段落「偶然に起こるように思われる意志であっても、何かの刺戟に基づいている」までを読解。(第86回)