2015年 6月
6日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第1章「純粋経験」第2段落より
第一編、第一章「純粋経験」の1-3段落を読了。各段落で述べられている経験、現在/過去、単純/複雑を論点として純粋経験とは何かを確認。また、西田において智情意がばらばらに取り扱われることがないことなどが話題に登った。山口大学から新入生2人が参加。
2015年 5月
30日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第一編 第1章「純粋経験」第1段落より
山口市の常栄僧堂で5月23日に開催された坐禅会に8人が参加したことを報告。前回のプロトコルを確認して第一編、第1章「純粋経験」の第1段落を読む。
「経験するというのは事実其儘に知るの意である」にある「未だ主もなく客もない」経験、事実の内容に多数の発言があった。(通算第76回)
※石川県西田幾多郎記念哲学館より講演、催しの案内と刊行物の提供をいただいた。刊行物は整備を進めている「辻村公一文庫」の一角に収蔵する。
2015年 5月
16日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第二編 第10章「実在としての神」第2段落より
物心の独立に対する西田の反論に、主客の分裂が前提されているかとの問いを議論。また、神の存在論証を整理して『善の研究』における西田の反論を確認した。(通算第75回)
2015年 5月
9日
(土)
- 時間
- 13:30〜15:45
- 内容
- 『善の研究』第二編 第10章「実在としての神」第1段落註記より
第二編第10章「実在としての神」第1段落「精神と自然とを合一した者が神であ」り、それは「統一力」であることを確認。統一力が論理的必然なのか、前提なのかについて各々意見を述べた。純粋経験は人によってことなるか、にも言及。(通算第74回)