判断意識を超越する

前回は、岩波書店「西田幾多郎全集」旧全集の第四巻、「場所」「五」の第2段落279頁13行目「直観の形式としての空間の如きものであっても」から同段落末281頁3行目までを講読しました。今回のプロトコルはRさんのご担当です。キーワードは「普通には始から主客を対立的に考へ、知るといふことは主観が客観に働くことと考へるが故に、対立なき対象というものが主観の外に考へられ、概念的なるもののみ主観に於てあると考えられるのであるが、所謂一般概念とは直覚的なるものの意識面における輪郭であり、意味とは之によって起こされるその意識面の種々なる変化である」(280,9-13;下線R)でした。そうして「考えたことないし問い」は「普通の主客対立を前提とする認識論と異なり、従来主観の外にあるとされる判断以前の「対立なき対象」或は「直覚的なるもの」と、従来主観においてあるとされる「一般概念」或は「意味」は、西田にとって、ことごとく「意識において内在する」のである。さらに、一般概念を「直覚的なるものの意識面の輪郭」とし、意味もそれによって生じると考える。プロトコルの図(下図)で示されているような構造から、「直観とは主語面が述語面の中に没入」し「述語的なるものが主語となる」ことをどう考えるのか、また「直覚的なるものは自己自身に同一的なるものに」とはどのような意味であるのか」(263字、図有り、プロトコル参照)でした。例によって記憶の断片から「構成」してあります。
佐野
この図ですけれども、これだと「一般概念」の範囲だけが「意味の世界」のように見えます。ですがテキストでは「主語面」(「対立なき対象」)の「余地」が「意味の世界」となっていますので、「一般概念」の外も「意味の世界」ということになりますね(描きにくかったのかもしれません)。皆さんその他にこのプロトコルでお気づきの点はありませんか?

K

下線部ですが、前回「之」を「輪郭」を受けるものとして解釈されましたが、「直覚的なるもの」ではないでしょうか。その後に「恰も力の場の如きものである」とありますので、その方が理解しやすいかと。
佐野
たしかに「力の場」に「直接的なるもの」を放り込むと「種々の変化」が起こるというのはイメージしやすいですね。しかしやはり「之」は指示語としては「輪郭」を指すと考えた方が自然ですし、判断以前の主語である「直観的なるもの」に「一般概念」の枠を当てはめることで「力の場」が生じ、それによって「意識面の種々の変化」が「力線」として描かれる、とも考えられますね。同じ花を見てもMさんと私では「一般概念」が異なりますから、まったく違ったように見える、ということです。どうでしょうか?

K

もう少し考えて見ます。
佐野
Rさんのプロトコルは、結局前回の問いをそのまま持ち越した形ですね。テキストでしばしば登場する「直観」はカントの感性的直観で、西田の言う「直観」ないし「直覚」ではないのではないか、と。

R

そうです。
佐野
前回も申し上げましたが、ここで西田が「直観」ないし「直覚」をどのように使っているかはテキストの文脈によって判断するほかありません。西田はもしかすると「直観」にいくつかのレベルを考えていて、例えば「判断意識」における直観と、「意志の意識」における直観、さらに西田が『善の研究』で言っていた「知的直観」のような「真の直観」(この言葉は後に286頁8行目で出てきます)を同じ「直観」という語のもとに統一的に表現しようとしている可能性があります。それが「直観」としてこれまで出てきた「主語面が述語面の中に没入すること」(279,15)や、「述語的なるものが主語となる」(275,9-10)や、「直覚的なるものは自己自身に同一的なるもの」(281,2-3)という表現かもしれません。西田に限らず、テキストを読む場合には〈こうだ!〉と決めつけず、〈こうかもしれないが違うかもしれない〉という気持ちで、つねに判断を停止(エポケー)し括弧に入れる心構えが必要だと思います。これはある意味で早く分かりたいという〈自我〉を削り落とす修行です。私は、哲学は役に立たないとつねに言ってきましたが、意外に役立つかも。

R

私はどうしても決めつけて読む傾向がありますので気を付けたいと思います。それにしても「直覚的なるものが自己自身に同一なるもの」とはどういう意味でしょうか?
佐野
281頁15行目に「自同律に於て表される直覚面」という語があります。「自同律」とは〈A=A〉のことです。これを受けて「自己自身に同一なるもの」と言ったのではないでしょうか。以前(277,12-13)「対象其者として矛盾を含んで居るのではない」という表現がありましたし、西田はこれを「対立なき対象」と呼んでいるのではないか、前回はそのように解釈しました。

R

主語面と述語面が同一になることではないでしょうか。
佐野
それでもいいのですが、それではその直後に出て来る「(直覚的なるものは)述語面の中に含まれて居なければならない」をどう解釈しますか?「包摂的関係」を推し進めて行くと、最後に判断以前の主語において、主語面と述語面(特殊と一般)が一致します。これはたしかに主語面と述語面が同一になることです。しかし西田はその背後にもこれを越えて、これを含む述語面があると考えています。志向対象に対しても、その「意味の縁暈」があるということです。図には地がある、と言い換えてもいい。そうなるとこの「直覚的なるものは自己自身に同一なるもの」というのはやはりA=Aという「自同律」において表される「対立なき対象」のことではないか、そうした読みの可能性が出てきます。プロトコルはこの位にして、テキストに移りましょう。Aさん、お願いします。

A

読む(281頁4行目~8行目)
佐野
指示語の「之」がいっぱい出てきますね。押さえていきましょうか。「一般と特殊との包摂的関係を何處までも推し進めて行って、自己自身に同一なるものの背後にも、尚之を越えて広がれる述語面が真の意識面である」とありますね。先程申し上げたことが述べられていますが、ここに出て来る「之」とは何を指していますか?

A

「自己自身に同一なるもの」です。
佐野
そうですね。「真の意識面」とありますが、これは「対立的無の場所をのみ意識面」(281,1)と考える「普通」の見方に対するものでしょう。〈真の無の場所〉に限定する必要はないと思います。「一般概念」内の「意識面」も含めておきます。次に「直覚も直に之に於てあり、思惟も直に之に於てある」の「之」は同じものを指すと考えられますが、この「之」は?

A

「述語面」ないし「真の意識面」です。
佐野
そうですね。次に出て来る「対立的対象が之に於てあるのみならず、無対立の対象も之に於てあるのである」の「之」も同じく「述語面」ないし「真の意識面」を指していますね。「無対立の対象」とは「対立なき対象」、〈判断以前の対象〉のことでしょうから、「対立的対象」とは〈判断の対象〉で、280頁2~3行目に出て来る「思惟の対象」「知覚の対象」などが念頭に置かれていると思います。次に「すべての主語面を越えて之を内に包むが故に」の「之」は?

A

「すべての主語面」です。
佐野
そうですね。続いて「すべての対象は之に於て同様に直接でなければならぬ」の「之」は?

A

今度は「述語面」です。
佐野
ありがとうございます。続く「種々なる対象の区別は之に於てあるものの関係から生ずるのである」の「之」も同様ですね。種々なる対象とは直覚の対象(無対立的対象)、知覚の対象や思惟の対象など(対立的対象)のことを言うのでしょう。それではBさん、次を読んでください。

B

読む(281頁8行目~11行目)
佐野
難しいですね。「場所」論文も終わりに近づいていますが、内容が凝縮していて強烈に難しい。「主語面を越えて述語面が広がるという時、我々は判断意識を超越すると云わねばならぬ」とありますね。ここには「超越」があります。この超越について皆さんはどのようなイメージをお持ちですか?私はあの「英国にいて完全なる英国の地図を写す」という企図を思い浮かべます。描かれた地図を見ているのが「反省」で、そこから判断が成立しますが、そうした時にはその地図はすでに過去のものとなっています。そこでまた新たに地図を描かなければなりません。こうした運動はどこまでも続きます。完全な地図は完成しません。しかし地図が描けたということは、描く以前に描くべきものを直観しているから描けるわけで、こうした足下に実は完全なる地図が常に直観されていることになります。これは一種の気づきであり、転換ですね。テキストではこの「超越」はすぐ後に出て来るように、「意志」への超越です。判断意識から意志の意識への超越ですね。これはずっと前の『倫理学草案第二』では「見者」(観察者)の立場から「作者」(行為者)の立場への転換、『善の研究』では第二編から第三編への移行に当たります。少し『善の研究』の該当箇所を見ておきましょう。Cさん、岩波文庫改版『善の研究』52頁15行目から読んで見てください。

C

読む
佐野
「例えばここに一本のペンがある。これを見た瞬間は、知ということもなく、意ということもなく、ただ一個の現実である」とありますね。これが「無対立の対象」です。次いで「これについて種々の連想が起り、意識の中心が推移し、前の意識が対象視せられた時、前意識は単に知識的となる」とありますが、これが、ペンが「知覚の対象」ないし「思惟の対象」になったことを意味しています。ここまではよろしいですか?

C

はい、大丈夫です。
佐野
次いで「これに反し、このペンは文字を書くべきものだという様な連想が起る。この連想がなお前意識の縁暈としてこれに附属して居る時は知識であるが、この連想的意識其者が独立に傾く時、即ち意識中心がこれに移ろうとした時は欲求の状態となる。而してこの連想的意識がいよいよ独立の現実となった時が意志であり、兼ねてまた真にこれを知ったというのである」、とありますね。これが知識ないし判断から意志への移行です。テキストに戻ると、次に「主語を失えば判断という如きものは成立しない、すべてが純述語的となる、主語的統一たる本体という如きものは消失してすべて本体なきものとなる」とありますが、これは対象を外に見る見方の消失ということで、判断ないし反省の消失です。そこに、つまり「此の如き述語面に於て意志の意識が成立するのである」ということになります。外から観察するという態度がなくなったところに意志が成立する、ということです。それでは次をDさん、お願いします。

D

読む(281頁11行目~282頁2行目)
佐野
「判断の立場のみ固執する人には、此の如き述語面を認めることはできないであろう」、とまず来て、次に「併し意志は判断の対象となることはできぬが」とあります。そんなことはない、〈私がみかんを食べたい〉という意志は反省できるではないか、そう考えられるかもしれませんね。しかしそのように反省された意志はすでに反省の対象であって、意志そのものではない。意志は自覚するほかない。それで「我々が意識の自覚を有する以上、意志を映す意識がなければならぬ」と言われます。この「意識」は対象化できない意識で、「意識する意識」です。図に対する地です。しかし同じことは判断そのものについても言える、というのが次の文です。「判断自身すら判断の対象となることはできないが、我々は判断を意識する以上、判断以上の意識がなければならぬ」というのがそれです。この「判断以上の意識」は「意識一般」、つまり「意識する意識」であると考えられます。

M

280頁4行目に「知覚する私」「思惟する私」とありますが、その「意識」はこの「私」と同じですか?
佐野
そうだと思います。Mさんという「私」ではありません。誰でもなく誰でもあるような「私」です。前回Mさんはそれを「我」と呼んでいましたが。次へ行きましょう。「而して此の如き意識面は之を述語方向に求めるの外はない」とあります。判断の意識にせよ、意志の意識にせよ、こうした地に相当するものは述語的方向に求める外はない、ということです。次に「述語面が主語面を越えて深く広くなればなる程、意志は自由となる」とありますが、これは注目すべき表現です。つまり述語面に深浅、広狭があるということです。それに応じて意志が自由になるということは、意志ないし自由にも深浅、広狭があるということになります。また述語面に深浅、広狭があるということは、通常の意識における述語面は限定せられた有の場所、つまり一般概念内にあるということです。時間がなくなってきましたので、次に行きます。「併し何處までも意志は判断を離れるのではなく、意志は勝義に於て述語を主語とした判断である、判断を含まない意志は単なる動作に過ぎないのである」とあります。

R

この「意志は述語を主語とした判断である」というのが分かりません。直観も同じように規定されていましたが。
佐野
以前「直観というのは述語的なるものが主語となる」と言われていた時には、「すべて作用と考えられるものの根柢」として求められるものでした(275,9-10)。その際にはもっとも深い意味で捉える必要がありますので、〈随処に主と作(な)る〉という意味に解釈しました。「すべて作用」には「判断」も「意志」も含まれます。判断の場合は、例の「英国の地図」の例を想い起せば、直観が根底にあることは理解できますが、意志の場合も「述語が主語になる」という形を取ります。

R

それがよく分からないのです。
佐野
Rさんは論文を書いていますね。それは「院生は論文を書くものだ」という一般的な知識の問題ではないでしょう。「この論文」を書かねばならない。「この論文」は「目的」になります。意志一般(意志が「善」を求めるものだとすれば善一般)をこの目的(この善)にして、それを実現すべく対象とする、ということです。それが述語(一般)を主語(特殊)とした判断であると解釈できます。同じことは〈ミカンが食べたい〉でも言えます。我々はミカン一般を意志しない。現実に食べるのは〈このミカン〉です。〈このミカンが食べたい〉、ここに西田は「勝義」の「判断」を見て取ります。「勝義」ですから通常の判断ではありません。こうした「判断」を含まない意志は「単なる動作に過ぎない」と西田は言います。今日はここまでにしましょう。
(第67回)
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著者

  • 佐野之人 さの ゆきひと
  • 現在、山口大学教育学部で哲学、倫理学を担当しています。1956(昭和31)年に静岡県富士宮市で生まれ、富士山を見ながら高校まで過ごしました。
    京都大学文学部を卒業して文学研究科に進み、故辻村公一名誉教授のもとでヘーゲル、ハイデッガー、西田哲学などを学びました。東亜大学に2009(平成21)年3月まで勤務し、同年4月より現職です。

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