「記載」と「構成」——初期フッサール批判

「場所」論文を読むのは久しぶりですね。7月30日以来です。その時のプロトコルはTさんにお願いしたのですが、今日はTさんがご欠席ということで、そのプロトコルは次回扱うことにしましょう。今日は255頁5行目から256頁3行目まで講読します。振り返りは架空の対話の形式で紹介します。
佐野
少し振り返っておきましょう。それから以前の解釈に間違いがあったことが判明しましたので合わせてこの場を借りて訂正させていただきます。252頁15行目から253頁2行目にかけて「無なる意識の場所と、之に於てある有の場所との不合一が力の場所を生ずる、有の場所から真の無の場所への推移に於て力の世界が成立するのである」とありますね。「有の場所」とは「物」と「物質」のことです。「物」の場合は触覚筋覚が基礎となって、これに他の視覚などの性質的なるものが盛られる。この場合触覚筋覚が「限定せられた場所」つまり「有の場所」になっています。ここまではよろしいでしょうか。

A

はい。大丈夫です。
佐野
ここからは訂正です。以前この限定をはずしていって視覚聴覚味覚臭覚へと広げていけば、「最も一般的なる感覚的性質」になり、西田はこれを「物質の概念」と呼んでいるとし、これは『善の研究』の「版を新にするに当って」における「昼の見方」相当するとしましたが、どうもこれは間違いだったようです。むしろ逆に触覚筋覚という性質をなくしていく方向で「何處までも推し進め」て「遂に最も一般的なる感覚的性質となる」と読むべきだと思います。そうなるとそこに出てくるのは、『善の研究』で言う所の「純物質」(111頁、岩波文庫改版)です。『善の研究』では、「純物質」は「全く我々の経験のできない実在」(同)であり、「数学上の概念の如く全く抽象的概念にすぎない」(同)とされています。これに対し「場所」論文では「物質の概念は斯くして成立するのである。物質は直接に知覚すべからざるものと考えられるが、それは特殊なる知覚対象ではないというに過ぎない。知覚の水平線を越えては物質というものはない」となっていますので、「純物質」を念頭に置きながらも、それは「知覚の水平線」上になければならない、と述べていることになります。たとえ直接に見ること触れることができなくても、つまり間接的な仕方で見る・触れることができなければならない、そのように言っているのだと解釈されます。どうでしょうか?

B

この方が分かりやすいですが、『善の研究』の「純物質」とは扱いが異なるということでしょうか。
佐野
そうですね。『善の研究』では「純物質」は実在しない、とされましたが「場所」論文では原理的に知覚可能なものになっていると思います。もう少し先を振り返っておこうと思います。さて「物」と今言った「物質」とを合わせて「知覚」の世界です。西田は「知覚」も「知覚の範囲」に「限定せられた有の場所」と考えます。「物」(「物質」)においては「相異」と「相反」が見られますが、そこには「力の世界」は見られないとされ、「力の世界」を見るには「矛盾の世界」に出なければならないとされます。塩(物)は白くて同時に辛い。相異は「物」においてある。これに対し木の葉が緑から赤(緑ならざるもの)に変化した、という場合には「時」の概念を入れて「物」において「相反」を矛盾なく考えることができる、そのように我々は考えているけれども、そこにはすでに「矛盾」があり、そのことは「矛盾の世界」が開けることで見えてくる、そのように西田は言おうとします。ここまでは大まかな説明です。次にもう少しテキストに即して見ていきましょう。

C

お願いします。
佐野
我々の判断は数学的なものであれ、知覚であれ「一般概念」に則って行われます。数学の場合は例えば数がそうです。数学的な判断自体は矛盾律に従っています。5が同時に3になったりしません。しかし我々が矛盾律に従うことができるのは矛盾律以前に我々が矛盾ということを知っているからでしょう?また我々が5とか3とか言う時に、それらが数であることを理解していますが、そこには特殊(5と3)が同時に一般(数)であるということが前提されています。特殊と一般は対立する概念です。つまり我々が数学的判断をする場合に前提となる「一般概念」は「矛盾的統一」だということになります。この「矛盾的統一」が5や3といった特殊を「矛盾律」に従って矛盾なく統一していることになります。ここまではよろしいですか?

C

はい。
佐野
それでは知覚の場合はどうでしょう。知覚の場合も矛盾律に従わなければ我々は考えることはできません。ですが、この塩は白くて、同時に辛い。そのままでは矛盾してしまいますので我々はそこに「物」を考える。それによって白と辛を「相異」というように矛盾なく理解しようとする。また「白」一般はどこまで行っても「この白」に到達することはできませんが、そのことも「物」を個別化の原理と考えることで矛盾なく考えることができます。「物」における「相反」、例えば木の葉における緑と赤(緑ならざるもの)については、これを「時」の中で「変化」と捉えることによって矛盾なく考えることができます。以上が知覚の場合です。

C

どこにも矛盾は感じませんが。
佐野
もう少し待ってくださいね。先を続けましょう。誰も感覚的でない数学におけるような直観(純粋直観)と、感性的直観(「感覚的直覚」)を「同じとは考えない」(254,5)けれども、数学的判断も知覚的判断も「判断」である以上、その「根柢には一般的なるものがある」(同)、そのように西田は言います。それを見るためにはそうした「一般概念の外に出て之を見」なければならない、とされます。それによってカントがそうしたように「我々は斯くなければならぬ、然らざれば知識は成立せない」といった「先験的知識」が成立するのだ、そのように西田は考えます。我々は当たり前のように判断していますが、それは判断の一般者に乗っかって判断しているわけで、そうした我々の前提(一般者)を見るためには、その一般者の外に出なければならないことになります。ここには超越があります。それは「限定せられた有の場所から、その根柢たる真の無の場所に到ること」であり、「有の場所其者を無の場所と見る」ことであり、「有其者を直に無と見る」ことだとされます。具体的には数学的判断も知覚的判断も矛盾律に従っていますが、その根柢に矛盾を見るということです。3と5の間に矛盾を見、塩の白と辛さの間に矛盾を見、木の葉の緑と赤の間に矛盾を見るということです。そうするとそこに「働くもの」つまり「力の世界」を見ることができる、ということになります。これで一応復習と訂正が終わりました。それでは本日の講読箇所を読みましょう。Aさん、読んでください。

A

はい。(音読)
佐野
まず「記載」と「構成」(255,6)ということが出てきますが、これは後で「現象学的立場」(同9)と出てきますように、初期フッサール批判です。初期フッサールは知覚の立場に立ちますが、それが「考えられた一般概念」の外に出ることができない以上、その一般概念の中で単に「記載」(記述)しているにすぎない、というのです。「構成」と言う以上、この一般概念の外に出て、知覚を見る必要があるというわけです。これは初期フッサールが「意識せられた意識」の立場に立っていて、「意識する意識」の立場に立っていない(248,13-249,2)というのと同じ批判になります。次をBさん、読んでください。

B

はい。(音読)
佐野
ここではアリストテレスの感覚の話が出てきますね。これは『デ・アニマ』424a17に見えますが、もとはプラトンの『テアイテトス』191c-dにあるものです。西田はこのアリストテレスの感覚を「共通感覚」の話に結び付けて考えようとします。さしあたりここでは「感覚」が「封蝋の如く、質料なき形相を受取るもの」だとされています。封蝋ってご存じですか?

A

最近は見ないですね。それどころか、今の人は手紙に封をする時に締(〆)も書かない。Bさん、どうですか?

B

私は書きません。
佐野
昔は封をする時にを蜜蝋を塗ってその上から指輪の印章を押して密封したんですね。その時印の形だけを蜜蝋は受け取るわけで、指輪の材料(金属など)は受け取らない。このことを言っているんですね。そうしてこうした「質料なき形相を受取るものは形相を有たないものでなければならぬ」とまずは言われます。蜜蝋は形がない。しかしさらに「斯く受取るとか、映すとかいうことが何等かの意味に於て働きを意味するならば、それは働くものなくして働き、映すものなくして映すということでなければならぬ」と言われます。

C

受取るとか映すということがどうして働きなんですか?働きと言うと能動的なものだと思うのですが。
佐野
「何等かの意味に於て」とありますね。受動的な意味において、ということでしょう。

D

「それは働くものなくして働き」とありますが、この「それ」って何ですか?
佐野
私は「受取るとか、映すとかいうこと」と取ったのですが…今回はここまでとして、次回改めて考えて見ましょう。
(第46回)
Tweet about this on TwitterShare on Facebook

著者

  • 佐野之人 さの ゆきひと
  • 現在、山口大学教育学部で哲学、倫理学を担当しています。1956(昭和31)年に静岡県富士宮市で生まれ、富士山を見ながら高校まで過ごしました。
    京都大学文学部を卒業して文学研究科に進み、故辻村公一名誉教授のもとでヘーゲル、ハイデッガー、西田哲学などを学びました。東亜大学に2009(平成21)年3月まで勤務し、同年4月より現職です。

年別アーカイブ

カテゴリー

場所
index

rss feed