読書会だより

己自身を鏡となす——「内部知覚について」と「善の研究」の変化

第28回読書会だより
本日の哲学的問は「この世界は鏡のような場所に映ったものに過ぎない、という思いは西田の苦しみを救ったとも言える。『善の研究』にも「己自身を鏡となす」という記述がみられ、また、最終的に「超越」に至るその過程は『善の研究』に似ているとも思う。「場所」という言葉が初めて使われた『内部知覚について』と『善の研究』にはどのような変化がみられるのだろうか」です。今回の哲学的問は今回のプロトコル(A45枚に及ぶもので、プロトコルというより、「内部知覚について」に関する発表原稿です)に関するものです。是非そちらの方もご覧ください。なお、今回は発言内容にプロトコルの内容も加味して紹介します。
佐野
まず「この世界は鏡のような場所に映ったものに過ぎない、という思いは西田の苦しみを救ったとも言える」とありますが、どういうことですか。

A

(出題者)
「内部知覚について」を執筆していたのは1924年ですが、その直前の西田の私生活は壮絶を極めていました。しかも西田は小林敏明が正しく指摘するように、「なければならないの性格」即ち「強迫性格」的な気質を抱えています。因みに私も同じような気質を抱えており、西田の日記はまるで自分が書いたような気がするんです。こうした「強迫神経症的な気質と子供の死という耐え難い苦しみは、この時の西田を再び自己の奥底の果てのない暗闇に導いた」(プロトコル原稿より)のではないでしょうか。「しかし一転」(同)1923年の日記に「今日この日から世界に死し、我哲学のみに生きる。全てが捧げられた。全てが捧げられた。奥深い影響力を持った経験(原文英語およびドイツ語)」とあります。「すべてが捧げられる」時、すなわち哀しみの底に深く沈む時、西田は「奥深い影響力を持った経験」をします。それが「場所」の経験です。すべては鏡に映ったものに過ぎない、こうした無常観が逆に「場所」の実在感を強くし、それが西田を救うのです。1922年に執筆された「美と善」では「(現実の根柢に超越的意志の内容(真善美:佐野)が働いて居る。唯、作用が作用を生む超越的意志の内容として、)現実は何時でも不完全たるを免れない」(旧全集第3巻470頁)と書かれています。

B

プラトンの「洞窟の比喩」でも人間は洞窟の中に囚われていて、壁に映る影しか見ることができません。しかしそれだからこそ逆にイデアの実在性が強く意識されるというのと同じことだと思います。ですが西田はそれをあちら側にイデアとして立てるのではなく、それを「今・ここ」に見て、ここを天国にしようとしたのではないでしょうか。
佐野
次に「最終的に「超越」に至る過程は『善の研究』に似ている」とありますが、これはどういうことですか。

A

『善の研究』の執筆に至るまでも西田の苦悩がありました。当時は日記に「打座」と書き綴っていました。「内部知覚について」を書く前の西田は、日記に「禁煙」を頻繁に書き綴っています。『倫理学草案第二』で悪の問題に躓いたように、西田は同時期に書かれた『美と善』あたりで現実に躓いたのではないか。そこからの超越として場所が出てきたのではないか。
佐野
最後に「『内部知覚について』と『善の研究』にはどのような変化がみられるだろうか」とありますね。これは?

A

『善の研究』の根本経験では「気づかされる」というニュアンスが強いのですが、今回は自分の方から「見る」といったニュアンスが強いと思います。
佐野
超越者の側からの働きが希薄だと。確かにそうした感じは私も持っています(ただ「見る」といっても、こちらに主体を立てて対象を見るという見方はしていません)。『善の研究』で西田は、想起され反省された直接経験としての純粋経験から、宗教的覚悟を通じ、現在意識としての純粋経験へと超越しました。そうして成立するのが第一編の純粋経験です。それは現在への超越ですから、西谷の言うようにこちら側への超越です。その際「宗教的覚悟」には「大なる生命」としての超越者からの働きが認められますが、その後西田は直観の立場に立ってそこから反省や世界を論じようとします。その意味では確かに西田の哲学は主観主義とも言え、自我意識が強いものになっているとも言えます。彼は「自己」という言葉を多く用いる哲学者といえると思います。そうして(「汝」や「世界」の問題を通じ)最後の『宗教論』でようやく『善の研究』で暗に到達されていた超越者の働きが「逆対応」という思想とともに取り出されて来る、今のところそのように考えています(その場合、場所の成立がどのような意味を持つかが明らかにされなければなりません。Aさんの説はその点で一つの示唆を与えるものだと思います)。
(第28回)
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著者

  • 佐野之人 さの ゆきひと
  • 現在、山口大学教育学部で哲学、倫理学を担当しています。1956(昭和31)年に静岡県富士宮市で生まれ、富士山を見ながら高校まで過ごしました。
    京都大学文学部を卒業して文学研究科に進み、故辻村公一名誉教授のもとでヘーゲル、ハイデッガー、西田哲学などを学びました。東亜大学に2009(平成21)年3月まで勤務し、同年4月より現職です。

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