読書会だより

哲学とは何か

第30回読書会だより
本日の哲学的問は「哲学とは何か」です。
佐野
まず質問の意図を説明していただきましょう。

A

(出題者)
卑近な話ですが、先日友人と飲みに行ったときに、「哲学とは何か」尋ねられたんです。一人は自衛隊のOBでその人は「人生の指針」だと言っていました。もう一人はホテルの社長ですが、その方は哲学と心理学の違いについて、哲学はみんなに通じる、分かるもので、心理学は個人に適用されるものではないか、と言ってました。以前プロトコルを担当した時に私は「哲学は普遍的か」という問いを提出したのですが、その折フーコーやクーンの思想に基づいて普遍的ではないという意見がでました。ですが哲学はフィロソフィー、希哲学で、賢哲を希うという意味です。賢哲とは真善美のことだと思います。ですから私は普遍性を志向するものだと思います。哲学の項目を辞書で調べると、学問としての哲学の外に人生哲学のような意味もあります。
佐野
哲学は普遍的で学問的、つまり知の体系という意味で体系的だとお考えですか。

A

真善美は三つの輪で、一つはずすとバラバラになってしまうようなものです。
佐野
つまり体系的ということですね。では哲学は普遍的で、体系的かどうかで議論しましょうか。

A

いえ、もっと自由にいろんな意見がお伺いしたいです。
佐野
分かりました。それでは「哲学とは何か」自由にご意見をお願いします。

B

哲学は「よく生きる」一語に尽きます。プラトンのエロース(恋)にもあるように人間は真善美にあこがれます。ですが私は考えない方が楽だったと思います。哲学につかまったという感じです。ですから考えない方がよいと思います。

C

私にとって哲学は生きることそのものです。私は考えることが大好きです。でもそれは考えずにはいられないということで、本当に苦しい苦しい。哲学は学問ではなく、また人生に役に立つというものでもない、役に立つという発想で人間は生きていくことはできないと思います。

D

私は哲学ほど役に立つものはないと思います。ですが今すぐには役に立たない。即戦力を目指す教育の在り方は間違いです。即戦力では結局役に立たなくなります。哲学、文学、宗教学はその意味で役に立つものです。根本に「無知の知」というものがあるからです。「無知の知」、これを繰り返し鍛えたらどんな職につこうが、どれほど危機的になろうが、役に立ちます。哲学は役に立つということにもっとも直結した学問です。

E

私は考えることだと思います。そこにはプロセスがあります。それが大事だと思います。論理的に説明するのが学問です。禅では不立文字と言って何より説明を嫌います。しかし言葉にできないものを文章にして論理的に表現するところに私は関心があります。

F

私は身の回りに起こっていることに関心を持って考えることだと思います。哲学するとか哲学しましょうと言いますが、それは例えば花でもいいのですが、そういう日々の生活に引き戻して考えることです。

G

私はこれまでぼんやりと生きてきました。哲学など勉強したこともなく、感覚の世界にいました。ですが魂・心をだれかに説明してほしいとは思っていました。ここには外国に来ているような感覚で来ています。外国旅行です。その中で時々日本語が聞こえてくる。私は言葉が苦手です。感覚を言葉にする訓練をしてこなかった。ですが見えないものを言葉にするのは楽しいです。
佐野
今日はいつもとは違った雰囲気になりましたね。こういうのもいいですね。それではテキストに入りましょう。
(第30回)
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著者

  • 佐野之人 さの ゆきひと
  • 現在、山口大学教育学部で哲学、倫理学を担当しています。1956(昭和31)年に静岡県富士宮市で生まれ、富士山を見ながら高校まで過ごしました。
    京都大学文学部を卒業して文学研究科に進み、故辻村公一名誉教授のもとでヘーゲル、ハイデッガー、西田哲学などを学びました。東亜大学に2009(平成21)年3月まで勤務し、同年4月より現職です。

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