変ずるもの―特殊化の原理
- 2025年9月6日
- 読書会だより
前回は番外編(Exkurs)としてカントのプロレゴメナ第46節を講読しました。プロトコルはありません。それではさっそく今回の講読箇所に入りましょう。
それではAさんお願いします。
A
読む(333頁3行目~12行目)
A
「判断的関係を内に含むと考えられる一般的なるもの」とは「具体的一般者」のことですか?
そうだと思います。特殊化の原理を含む一般者ですから。そうした「一般者が最後の種を越える」とありますね。たとえば〈赤は色である〉という判断において、〈色〉に〈赤〉と〈赤ならざるもの〉という種差がありえますが、このうち〈赤〉を取れば〈色〉は〈赤〉となり、〈赤は色である〉が成り立ちます。ここでもう一歩進むと、「最後の種」として〈赤〉を考えることになります。この先は「種」ではなく「個」の世界だからです。それを超えて見ましょう。〈この赤は赤である〉という判断において、〈赤〉に〈この赤〉と〈この赤ならざるもの〉という種差が含まれていますが、このうち〈この赤〉を取れば、〈赤〉は〈この赤〉となり、〈この赤は赤である〉という判断が成り立ちます。この判断はすでに「個」の領域で成り立っています。その場合、〈この赤〉が主語で、〈赤〉が述語です。この〈赤〉は先程の「最後の種」とは異なります。「最後の種」はなお一般の領域だからです。〈個〉の領域における述語としての〈赤〉が今問題になっています。テキストでは「最後の種を越えて尚述語的一般性を維持する」と表現されています。この「述語的一般性」は〈個〉の領域で成り立つものです。そうしたものは「反対を内に包んだもの」だとされます。「反対」とは、先の例で言えばどういうことになりますか?
A
〈この赤〉と〈この赤ならざるもの〉です。
そうですね。この〈個〉の領域における「述語的一般性」は〈この赤にしてこの赤でない〉という矛盾を含んだものです。続いて「最後の種に於て既に反対(唯一の個物的種差を有つものと然らざるものと)を内に包むと考え得るが」とありますが、これは繰り返しですね。「種」の領域の話です。〈赤〉という種が可能性として〈この赤〉と〈この赤ならざる〉という反対を含むということです。ここから「更に特殊化の方向を進めて」行きます。〈個〉の領域に入ります。「主語となって述語とならないと云う意味に於て限定せられたもの」、つまり〈個物〉ですね。「所謂一般概念を越えたもの」と言い換えられています。こうした〈個物〉を包む「述語的なるもの」、出ましたね。〈個〉の領域における「述語的一般性」です。それは「主語的なるものの否定を含むものでなければならぬ」とされます。「述語」ですから「主語」ではない。その意味で「主語的なるものの否定を含むものでなければならない」と言われていると思われますが、この「主語的なるものの否定」には、後で出て来る「質料」がなくなる、ということに関わっているようです。端的に言えば主語として立てられた〈物的実体〉の解消です。すべてを形相として見ると言ってもいいです。ここまでいかがですか?
A
大丈夫です。
「最後の種に於て相反する種差が含まれると考えられるが、之を超越したものに於ては(それが超越的述語に於てあると考えられるかぎり)」と、また同じことが繰り返し述べられています。「超越的述語」とは〈個〉の領域における「述語」ですね。そうした「述語」には「相反する判断的対象が含まれる」とされます。この「相反する判断的対象」とは?
A
〈この赤〉と〈この赤ならざるもの〉です。
そうですね。それでは次をBさん、お願いします。
B
読む(333頁9行目~12行目)
ギリシャ哲学が出て来ましたね。アリストテレスが念頭に置かれています。すべてのものが形相と質料から成る。「質料」は素材です。ヘルメス像で言えば、その形が「形相」で、その素材となる、例えば大理石が質料です。「中間的なるものは質料に属する」とありますね。大理石はヘルメス像にもなれば、別の像(たとえばアテナ像)にもなり得る、どちらでもありえる「中間的なもの」です。これに対し「形相」の方は、ヘルメス像であるか、ヘルメス像でないかのどちらかですから、「常に対立をなす」ものです。「単なる質料」は「これこれ」と言えないものですから、その意味で「無」です。ここまではいかがですか?
B
大丈夫です。
「形相は質料に先立ち之を内に含むと考えるならば」とありますね。これはすべてを「形相」から見る場合のことです。物の見方に二種類あって、質料から見て行く場合と、形相から見て行く場合があります。質料から見て行く場合には、すべては可能態(質料)から現実態(形相)への「運動(キーネーシス)」となりますが、形相から見て行く場合はつねに「現実活動態」(エネルゲイア)となります。後の方の見方が「観想的生」につながります。ここでは後の方の見方がとられています。こうした「形相」における「最後の種」となるものは〈このヘルメス像〉か〈このヘルメス像でない〉かのいずれかですから、「反対を含むもの」です。次をCさん、お願いします。
C
読む(333頁12行目~334頁1行目)
「主語となって述語とならないと考えられるもの」、「個物」ですね。「それが判断的知識に属するかぎり、述語的なるものに於てあると考えなければならぬ」、同じことの繰り返しですね。この「述語的なるもの」は〈個〉の領域におけるものです。こうした「述語的一般者に於てあるもの」は、もちろん個物ですが、それが「肯定的であると共に否定的でなければならぬ」とされ、それが「変ずるもの」だとされるところは少しわかりにくいですね。
C
たしかに。どうして個物が「変ずるもの」になるのですか?
個物は捉えられず、常に変じている、ということでしょうね。
C
描かれた絵の色は変わらないと思いますが。
光の具合によって変わるでしょうし、こちらの状態によっても変わるでしょう。どうやら西田は、ヘーゲルが『精神の現象学』でやったように、個物は捉えられない、と考えているようです。ただヘーゲルが捉えられるのは普遍だけだ、とするのに対し、西田は「変ずるもの」のみ捉えられる、と考えているようです。そうして「変ずるものの根柢にある変ぜざるものとは此の如き一般者でなければならぬ」と言います。「此の如き」とは〈個〉の領域で「相反する種差を含む」ような「述語的一般者」ということでしょう。次をⅮさん、お願いします。
D
読む(334頁1行目~6行目)
色の例で説明していますね。「個色」というのが出て来ますが、西田は後で「個色という如きものは実際に於ては限定することができない」(335,13)と述べているように、実際には「変ずるもの」としてしかとらえることはできない、と考えているようです。さて「色の性質を分けて行って限定せられた唯一の色というものが種々なる色の系列に於て定まるには、最後の種差というものが加わると考えねばならぬ」とありますね。「最後の種差」とは〈赤〉の場合何ですか?
D
〈この赤〉と〈この赤ならざるもの〉です。
そうですね。次にはこう書いてありますね。「種々なる系列によって分けられた後、最後の系列に於て或一つの性質を有つか有たないかと云うことによって個色が限定せられるのである」。「或一つの性質」が〈この赤〉です。そうしてその後大事なことが書かれてありますね。「最後の種に於て或一つの種差を有つか有たないかと云うことは、述語的方向に於ては直に矛盾的対立を意味するのである、その「中間のもの」というは主語的方向に於て考えられるのである」。「中間のもの」とは以前出て来た「中間的なるもの」つまり「質料」のことです。つまり〈物的実体〉としての「個物」のことです。西田はこういう意味での個物を解消しようとしているようです。次をEさん、お願いします。
E
読む(334頁6行目~335頁1頁)
「個色」とは何かが述べられていますね。①「他の何の色とも異なったもの」(したがって他の色との関係が含まれて居る)、②「種々なる系列の関係に於て秩序的に限定せられた最終のもの」、③「その色を有つ或物と考えることもできない」、すなわち「色の一種でなければならない」、④「述語的一般性を超越したものでなければならぬ」、以上の四点が述べられています。最後の「述語的一般者」は、難しいですが、〈個〉の領域における「述語的一般者」と考えておきます(後に「甲は甲であるという同一判断によって同一なるものが限定せられる時、その主語と述語とは判断の主語と述語との関係に於ては異なったものでなければならぬ」(336,11-13)とあります。この「異なった」というところがここでは「超越」と語られていると考えられます)。そうしてこの「個色」について「唯自己自身の述語となる」とされています。これは<この赤>ではどのようなことですか?
E
<この赤〉は<この赤〉である、ということです。
そうですね。それに続く文の中に出て来る「自己自身に同一なるもの」も同じ意味ですね。
E
この「同一」は「絶対矛盾的自己同一」の「同一」ですか?
さしあたり、ここを読むだけならそこまで考えなくても、同語反復のことを言っているということで十分ですが、「自己自身に同一なるもの」(この赤はこの赤である)は、そうしたものがそこに於てある「述語的一般者」(〈この赤〉にして〈この赤ならざるもの〉)を必要とし、じつはこうした述語との同一が言われているのだと思われます。先程引用した後の文では、「〔(主語と述語が)異なったものでなければならぬ、〕而も此判断によって言い表されるものが一なるが故に、主語と述語を転換することができる」(336,13-14)と言われています。そうなると「絶対矛盾的自己同一」ということになりそうです。〈山は山である〉は〈山は山でない〉をくぐって言われている。絶対的矛盾をくぐって〈山は是山〉と言われています。しかしそのことは同時に最初に常識的に〈山は是山〉と言ったのとは別の意味が出て来ています。つまり〈山は是山〉において直ちに〈山は山ならず〉ということが現成している。それがここでは、個色が直ちに「変ずるもの」という仕方で主張されていると考えられるのです。先程、「個色」の①の所で、「個色」が「他の何の色とも異なったもの」であるとされた時に、同時に「他の色との関係が含まれて居る」とありましたが、「この赤はこの赤である」が同語反復(つまり無意味)以上の意味を持つとすれば、〈個〉の領域における「述語的一般者」(〈この赤〉にして〈この赤でない〉、「他の色との関係」)をくぐっていなければならないのです。今日はここまでとしましょう。
(第103回)

